2011年10月11日火曜日

被災者支援の募金にご協力を!

東日本大震災で避難を余儀なくされた皆さんが、私たちの住む川崎市宮前区内の被災者住宅等に引っ越されてきています。これまで区内4団体が「ようこそ宮前区へ実行委員会」を結成し、多くの皆さんのご協力を得て4月より支援活動を行ってきました。

■家財・生活必需品は持ち出せず
被災した皆さんは、宮前区へ来る前にすでに何か所もの避難所や親せき・知り合いの家を転々とされてきました。
また、家財・生活道具もほとんど被災地から持ち出せずそのままとなっており、必要なものは、当地で、すべて自前で用意しなければならない状態です。

■集まった募金はホットカーペットに
そしてこの度、秋冬支度のための「募金活動キャンペーン」を区内の小中学校や地域の秋祭りなどで行います。
集まった募金は、ホットカーペットを購入し各世帯にお渡しする予定です。(夏には春のフリーマーケット収益金で扇風機を購入・配布しました)

■口座振り込みでのご寄付
振り込みでの募金も受け付けております。(振り込み手数料は恐れ入りますがご負担願います。)
  銀行名、口座番号等は以下の連絡先までお問い合わせください


お近くの秋のイベントにお立ち寄りの際に、ぜひとも皆さんのご支援・ご協力をお願いします!

「ようこそ宮前区へ実行委員会」
問い合わせ:みやまえ福祉パル内 事務局044-856-5500
構成団体 宮前中央地区社会福祉協議会
         
宮前区民生委員児童委員協議会
         
子育てサポートほっぷ
         
親子で一緒に外あそびの会

2011年7月30日土曜日

地域の力で被災者支援を

メンバーが、NPO参加型システム研究所 http://www.systemken.org/ の会報『参加システム』に依頼され寄稿した文章を、以下に転載します。

 近所の国家公務員住宅が東日本大震災の被災者受け入れ住宅になるとわかったのが411日。私は子育て支援団体の知人とともに社会福祉協議会(社協)に赴き、被災者支援を地域ぐるみで行いたいと相談。当該の地区社協と民生委員・児童委員協議会の会長さんらを紹介いただき、後日すぐに打ち合わせ会をひらき、「ようこそ宮前区へ実行委員会」が立ち上がった。そのなかで、被災者の方に日用品を提供するフリーマーケットと地域情情報を紹介するほっとサロンを424日に開催することを決めた。開催までには、入居募集する神奈川県や住宅供給公社、公務員住宅を管理する国、住宅内自治会の皆さんらと連絡を取りあい手探りで準備した。
 当日は一般の方には有料販売し、支援金を集め後日扇風機を購入、入居世帯に配った。また、カーテンは特に神奈川県内全域に声を掛け、多くの方に提供いただき配布することができた。
 その後、公務員住宅の一室を借りうけ「ひまわりサロン」を51日から開設。日用品の提供やおしゃべりの場としている。当番も地域の民生委員・児童委員さんらが午前午後2人ずつ交代で入り、相談ごとから地域情報の提供、おしゃべりまで力いっぱい担っている。これまで実行委員会では通信の発行、家具抽選会、夏服提供ブティック、皆さん集まってのお食事会の開催もした。ほか地元のお寺さんからも見舞金をいただいたり、地域の行事にはあちこちからご招待の声がかかる。
 多くの被災者の方は避難所や知人宅を何か所も渡り歩いたうえでここへやってきた。大切なものたくさんなくし「失意」の底に心はある。でも宮前区に来て多少なりともよかったな、助かったなと思っていただけるよう、希望の光を少しでもともし続けていただけるよう、多くの地域住民が力をあわせて支えようとしている。
(川崎市宮前区 子育てサポートほっぷ代表 福岡好恵)

2011年7月10日日曜日

花の台町内会のHP

花の台町内会のホームページに、「避難者サロンの開設」という記事が掲載されています。

http://www.miyazakidai.net/hananodai/news.htm

2011年6月12日日曜日

毎日新聞の記事

毎日新聞(2011612日朝刊)の記事を、以下に紹介します。

東日本大震災:原発事故で帰れぬ避難者 川崎市民がサロンで支援/神奈川

◇発生3カ月 悩みに耳を傾けよう
 東日本大震災の発生から11日で3カ月を迎えた。首都圏で暮らす被災者の中には、長引く避難生活に望郷の念を募らせながら、東京電力福島第1原発の事故で帰郷のめどが立たず、苦悩する人も多い。そんな被災者の悩みに耳を傾けようと、川崎市宮前区では地域住民がサロンを開き、支援に取り組んでいる。
 県が被災者向けに用意した同区の公務員宿舎には、約30世帯が暮らす。福島県富岡町の60代の女性はため息をついた。「もう、3カ月なんですね」
 夫と2人で、地震が発生した日の夜に車で町を出た。福島県郡山市の避難所など3カ所を転々とし、川崎にたどり着いた。富岡町は全域が警戒区域となり、帰郷はかなわぬまま。「生まれ育った古里を忘れることは、一瞬たりとてない」が、あきらめにも似た言葉も口を突く。「国の対応を見ていると、原発問題が収束に向かうと思えない。もう富岡には帰れない」
 疲労感が漂う避難者を支えようと、地域住民が5月1日、公務員宿舎の一室に避難者向けの「ひまわりサロン」を開設した。地元の民生委員らが午前と午後に詰めて話し相手となり、衣類から食器まで地域住民が寄付した支援物資も並べ、自由に持ち帰ることができるようにしている。
 発起人の一人、宮前第3地区民生委員協議会の目代由美子さんは「宮前に溶け込んでほしく、サロンは集会所をイメージした。皆さんが一刻も早く家に帰れるよう願っているが、宮前で暮らす間はつらい思いをさせない」と力を込める。
 サロンはいつもにぎやか。避難所で前向きになれなかったという女性だが「サロンは気軽に行けて思いを聞いてもらえる、心のよりどころ。いつも不安だが、ここにいると嫌な気分が和らぐ」と感謝の思いを口にした。
【倉岡一樹】

2011年5月1日日曜日

第1弾 フリーマーケット&ほっとサロン行いました!

 さる4月24日(日)に公務員宿舎宮崎台の集会室と隣接する公園で、「ようこそ宮前区へ」(東日本大震災被災者の方の生活支援)の活動の第一歩として、地域のみなさまと一緒に「フリーマーケット&ほっとサロン」を開催しました。  
 当日は、地域の民生委員さん、カーテン直しのボランティアの方等のご協力をはじめ、フリーマーケット(保育や子育てグループ、近隣の小学校PTA有志、子どもダンス教室のグループ)のご協力など、準備期間が短かったにも関わらず、大勢の方に参加&ご協力して頂きました。皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました
 当日は、被災地から入居された方、今後入居予定の方の約13組のご家族がおみえになりました。
来場された入居者の方には、ひまわりの折り紙を胸につけていただき、寄付で集めたカーテンを選んでもらいました。その後地域の情報などをお伝えしながらフリーマーケットの会場へご案内しました。同郷の民生委員さんとお話しをする中でほっとされたのか涙を浮かべた方もいらっしゃいました。
 今後、公務員宿舎宮崎台には、募集の残りの30世帯が、随時入居されるとの事です。頂いたカーテン、新品の食器類などは、入居してきた方が、すぐに持ち帰られるように公務員宿舎の一室をかりて保管しています。
また当日のフリーマーケットの売り上げ90,178円と支援募金の5,767円については、なるべく早くに役立てたいと考え、共同で使用できる家電製品などへの活用を計画しています。今後も引き続き「ようこそ宮前区へ」の活動を行っていきますので、ご支援、ご協力をお願い致します。

<お詫びとお願い>
 この度は、短期間の準備だったために、開催の主旨についての説明が行きとどかず、当日に物資の提供をお断りする方が多数いらっしゃいました。せっかく足を運んで頂いたのに申し訳ありませんでした。今後も個人による物資の募集はおこなっていませんので、ご理解ご協力をお願いいたします。
晴天にも恵まれフリーマーケットは大賑わい。新入居者の皆さんは次々に必要なものをそろえていかれました。
カーテンも神奈川県内各所からたくさん提供されました。ご協力いただいた皆さんありがとうございました。



晴天にも恵まれフリーマーケットは大賑わい。新入居者の皆さんは次々に必要なものをそろえていかれました。

カーテンも神奈川県内各所からたくさん提供されました。ご協力いただいた皆さんありがとうございました。